都内整形外科にてアスレティックトレーナーとして、運動指導を行っています小林裕矢です。
現在、個人での活動準備中です。
今回は、アスレティックトレーナー(AT)になるまでの道のりを書きます。
前回の記事プロローグはこちら
はじめに
福岡県出身です。いわゆる九州男児です。
この仕事をするようになって改善されてきていますが、基本人見知りです。
高校まで福岡で暮らし、その後、鹿児島→東京→埼玉と渡り歩き、現在は千葉です。
小学校の時の夢は「スポーツ記者」
このころから、何かスポーツ・運動に関わる仕事をすることを考えていたのかもしれないです。
高校3年生の時、やはりスポーツ関係に進みたく、スポーツ関連の学部を受験しましたが、撃沈。
そして、浪人。1年後晴れて大学生になります。
進学した先は、スポーツ関連の学部ではなく、工学部建築学科。
大学での学びは建築
「えつ!!」「何で、建築学科?」と思った人もいるでしょう。
建築学科を卒業して、トレーナーになっている人はいないのではないでしょうか。
何故、建築学科だったのか?
スポーツ関連の学部は実技とかがあり(後から調べると実技がないところもありました)、
浪人したら難しいだろうと思い(安易ですね)、違う道を探しました。
その当時、流行っていた「ギフト」というドラマに影響されました。(単純ですね〜)
そしてイメージとして、堅苦しくなかったことも選んだ要因です。
4年間、建物の構造(基礎、柱、梁など)やデザインを学びました。
黒い筒を持って、登校していました。
製図や模型作りに追われるときもありましたが、楽しい4年間でした。
やっぱり、「スポーツ関連の仕事がしたい」
4年生になり、進路を考えていたときに、この思いがこみ上げてきました。
「大学まで来たのだから」という思いと、親に申し訳ないという気持ちももちろんありました。
しかし、仕事をするなら、やりたい職業に就こうと思い、スポーツ関係の専門学校へ入学を決意。
福岡と東京の同じ系列の専門学校で迷い、東京へ。
東京リゾート&スポーツ専門学校へ入学
池袋にある東京リゾート&スポーツ専門学校(通称:リゾスポ)へ入学。
学校についてはこちら。
入学した当時は、アスレティックトレーナー(AT)というものを知らず、
インストラクターかスポーツシューズなど道具関連の仕事を目指していました。
授業や色々な先生の話を聞く中で、
「ATになって、スポーツ選手やチームのトレーナーになりたい」と思うようになり、
日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナーの資格取得を目指しました。
日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー(AT)のカリキュラムなど詳しくはこちら
ATの役割は
スポーツドクターおよびコーチとの緊密な協力のもとに、競技者の健康管理、外傷・障害予防、スポーツ外傷・障害の救急処置、アスレティックリハビリテーションおよびトレーニング、コンディショニング等にあたる。
(日本スポーツ協会HPより引用)
やっと、ATになれた
ATの資格取得までの道のりは、難しく、険しいものでした。
途中諦めかけた時もありました。
しかし、「トレーナー」という職業への憧れが強く、その仕事をしていくためには必要(当時はそう強く信じていました)だと思い、必死でした。
そして、卒業して5年かかりATの資格を取ることができました。
リゾスポ卒業後は、スポーツマッサージナズー(現株式会社ナズー)に就職しました。
本日はここまで。
次回は、自分の甘さを感じた就職後の話になります。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も楽しく、ワクワクした1日でありますように。
小林裕矢
次の記事:【小林裕矢がこの仕事をする理由③】はこちら
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